コラム   

                   不時着の島
                                         2006.7.25  河原千春




 初めて飛行機の操縦桿を握ってから、もう16年が過ぎた。

この間、世界中のいろいろな場所をフライトしてきた。
最初のロングクロカンは、アメリカ西海岸のランキャスターから飛び立ち、モハビ砂漠を越えてシエラネバダ山脈に沿って飛行し、ビショップという山の中の空港まで、初めて一人でチャートをたよりに飛んだ。すごい悪気流の中を木の葉のようにもみくちゃにされて飛んだが、それはそれで面白かった。
ニューヨークでは、ハドソンリバーに沿って飛び、自由の女神を見下ろして感激した。
フィリピンでは、フライトスクールを回り、頼み込んでボロボロのセスナを借りた事もあった。
でもよく思い出すのは、サイパンからパガンという島までのフライトだ。
もう大分経つので、記憶が定かなうちに記しておきたいと思う。


 皆さんはパガンという島をご存知だろうか。
硫黄島からサイパンへは600海里(約1100Km)、途中380海里(約700Km)の所にある小さな島である。
第二次世界大戦中は、グアム・サイパンへの飛行時の不時着の島として、またゼロ戦の補給基地としても利用していたらしい。
 そういえば、ラバウルのエースパイロットだった坂井三郎も、その著書の中でサイパンに行く途中に真っ黒で噴煙を上げている不気味な島として書いていたっけ。
戦争が終わってからは住む人もなく、無人島と化しているという。

サイパンから北方に火山列島が並ぶ         滑走路はパガンと書いてあるあたりだ


 その島にサイパンで訓練をしてくれた教官(通称ヒロさん)が行ってみないかと誘ってくれた。
ただし、サイパンから220海里(約400Km)、もし何かあったら助かる見込みはかなり少ない。

 その時は友人のAと、当時の会社の部下だったM子(今は友人の奥さん)の3人でダイビングが目的でサイパンに来ていたので、2人にどうするか聞くと、Aはヒロさんには絶大な信頼があるので行ってもいいよとの事。
M子もそんな機会、なかなかないから行ってみたいとの返事だった。
それではという事で、すんなりパガン行きが決まってしまった。
日付は1994年8月20日と飛行日誌に書いてあるので、かなり前の話である。

 まずはパガンまでのフライトプランを作成する。
だが、無人島で当然行く人もいなく、なんと正規のチャートが無い。
仕方がないので、ヒロさんのつてで、米軍のチャートを手に入れてもらう。
そしてフライトプランだが、パガンから何も持ち帰らないことを条件に、FAA(アメリカ連邦航空局)の許可をもらう。
これで準備は整い、翌日のフライトにそなえて早めに寝ることにする。

 フライト当日、天気は良好、お昼のランチBOXを買込み、空港へ向かう。
M子はピクニック気分だが、これは結構(というかかなり)冒険だぞと気をひきしめる。
というのも、パガンの飛行場はUS・GOVERMENTのフライトインフォメーションブックに長さが1500Feetと載ってはいるが、戦後、火山が噴火して、流れ出した溶岩が飛行場を分断しているらしい。
一応、滑走路は11or29と書いてはあるが、当然滑走路などなく、飛行場跡の芝生に降りる事になる。
離着陸は大丈夫だろうか、燃料は、途中の天候は...考え出すときりがない。もう行くっきゃないでしょう!
サイパンレディオ(当時、タワーはまだ無かった)とコンタクトし、9時21分Take Off。
しばらく飛ぶと無線を国際緊急周波数の121.5メガヘルツに切り替える。

 これから先はコンタクトする局もなく、何かあったら緊急周波数でエマージェンシーの「メィデー」をコールするだけだ。でもヒロさんいわく、何かあっても米軍はあてにできず、とりあえず友人で仕事仲間のヘリパイロット「ルーファス」だけが頼りとの事。
途中、グガン・サリガン・アナタハンといった小さな島々が翼の下を通り過ぎる。
そして飛ぶこと2時間半、やっと目的地のパガンが見えてきた。
噴火は治まっているという事だったが、まだ噴煙を吐いている。
坂井三郎が書いていたような不気味さはなく、以外と緑が多いようだ。
ぐるっと山を回りこみ、平坦な「飛行場」へ向かう。
なるほど、確かに溶岩が飛行場に流れ込み、着陸はかなり厳しそうだ。
ストールぎりぎりまで機速を落とし、接地するとともにフルブレーキングで操縦桿を思いっきり引く。
ソフト&ショートフィールドランディングだ!流れ込んだ溶岩がみるみる迫ってくる。
溶岩ぎりぎりの所でやっと停止、思わずため息をつく。
時計を見ると11時58分、2時間37分のフライトだった。

パガンの滑走路、前方に溶岩流跡が迫る


 飛行機を海岸手前までまわして泊め、とりあえずランチタイム、ヒロさんに聞くと、私以外で戦後この島に来た日本人は河原さんたちが始めてでしょうとの事。   なんかとても嬉しくなる。
飛行場から見る限りは、想像していたのと違い、南海の楽園という感じで緑もとても多い。
緊張から開放され、ランチがとても旨い。気がつくと、友人のAがナイフでヤシの実を割ろうと削っている。
おなかも満ちたし、とりあえず散策に出かける。
するとすぐ近くになんとゼロ戦が!
胴体の半分から下は土に埋もれて全体的に錆びてはいるが、コクピットもそのままだし、胴体に主翼と尾翼もちゃんとある。そしてその先に行くと、なんとゼロ戦の「栄」エンジンが5つほど並んで置いてある。
その当時でも戦後50年近く経っているのに、ここは時間が止まってるんだなぁとつくづく思う。
 海上の夜間飛行は危険で日没前に帰りたいので、あまりゆっくりもしていられない。

 
 そろそろ第2のショータイム、パガンからのTake Offだ!
なるべく滑走距離を稼げるように、溶岩流ぎりぎりまで機体をまわす。
ブレーキを踏み込み、Maxパワーを入れる。
回転数が充分に上がったところでブレーキをリリース、芝生なので思うようにスピードが上がらない。
飛行場端の崖がみるみる迫って来るが、離陸できる速度が出ない。
いよいよ崖だ、ええいっとそのまま崖から落ちるように地面を離れる。
海面がぐんぐん近づくが、ここで操縦桿を引くと間違いなく失速して墜落するので我慢ガマン!
海面すれすれでやっと機速がつき、水平に戻し、速度をかせぎながら序々に上昇する。
やっと100フィートまで上昇し、ひと息つく。
帰りも天候に恵まれて、さきほどの緊張も忘れ、のんびりとフライトを楽しむ。
2時間ほどすると、サイパンが薄っすらと見えて来る。
サイパンレディオにコンタクトし、16時32分、無事ランデイング。
帰りは追い風だったので、2時間7分のフライトだった。


 あれからもう10年以上経つが、今はもうパガンの着陸許可は下りないという。
また、ゼロ戦も「栄」エンジンも持ちさられて無くなってしまったと聞く。

また機会があれば、いつの日か行ってみたい島である。




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